美しの門

 皆さんは“美しの門”と聞いた時にどのようなイメージを抱かれますか?私は、針葉樹に囲まれた小さな湖の傍らに立つ洋館。その入り口に建てられた麗しい門を想い浮かべます。ところが聖書の中に出てくる“美しの門”とは私の幻想を粉々に打ち砕くものでした。その門の傍わらには生まれつき足の悪い人がいつも横たわっていました。施しを受けるためです。しかも自力でそこに来ることができないために、誰かに運んでもらってそこまで来ていたのです。ある日、その門を二人の男が通り抜けようとしました。足の悪い男の人はいつものように声をかけ、施しを求めます。すると意外な返事が男から返ってきたのです。「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」すると生まれて一度も自分の足で歩いたことのなかったその人が自力で歩き出したのです。この奇跡を行った男とはペテロでした。そう、イエスを3度知らないと否定したあのペテロです。なぜ臆病だったペテロがこんなに変わったのでしょう?それは、聖霊が彼に臨んだからです。このあと最初の教会が建てられ、キリスト教は世界中に広まることになったのです。教会ではこの日を聖霊降臨日(ペンテコステ)として、また教会の誕生日として覚えます。今年のペンテコステは5月31日です。 

 

さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上がろうとしていると、生まれながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。(使徒行伝3章1、2節) 


 

旅人をもてなしなさい

以前、日本にはじめて来るというアメリカ人をもてなした事があった。成田空港からホテルまでの行き方、ホテルから職場までの地図を作るなど…正直な話、忙しい仕事の時間を割いてこれらの作業をすることはかなりの負担であった。けれども、30代初めの頃に出張のため生まれてはじめてアメリカに行った時、ビルという黒人男性が何から何までお世話をしてくれた事を思い出した。拙い自分の英語を必死に聞き取ってくれて、生まれて初めての海外出張が成功したのは彼のおかげだ。数年前、そのビルが亡くなった事を聞いた。出張期間中の短い交わりだったけれども、自分の身内が亡くなったような衝撃を覚えた。ビルが自分にしてくれた事を今度は自分がやろう。イエス様が私のこころの中に入ってくださり、このように語りかけたくれたのだった。

 

あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、」病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである」。(マタイによる福音書25章35、36節)


 

みどりの牧場

 ゴールデンウィークとは無縁の職場で働くようになってから長い月日が流れ、いつのまにか全く意識になかったのですが、先日カレンダーを見てビックリ!何と5月4日がみどりの日になっているではないですか!この“みどり”という言葉の響きは私に不思議な平安をあたえてくれます。きっと私の大好きな詩篇23篇と重なるからだと思います。皆さんも日常の忙しさの中にあっても、この詩篇を心の中に忍ばせておくと、きっと安らぎが得られると思いますよ:

 

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。(詩篇23篇)


 

祈りと願いを捧げる

 最近、自分の身体的能力の衰えを感じる。健康診断の結果を見ても実年齢よりも若いという結果は出ているものの、物忘れが多くなった事に関しては本当に困っている。なぜなら、自分だけの問題に留まらず、他人にも迷惑をかけてしまうからだ。けれども、いつまで悩んでいても何の解決にもならない。聖書を開いてみると、まるで今の自分に書かれたような内容の手紙をパウロが二つの教会にしたためている。ピリピとテサロニケの教会への手紙だ。今回、ピリピ人への手紙を取り上げたので読んでいただきたい。

 

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。(ピリピ人への手紙4章6節)


 

ゲッセマネの祈り

明け方に目が覚めた。「祈りなさい」神様にそう言われているのだと思い祈ると、十字架に向かうまでのイエス様のことが示された。実際にお亡くなりになられるまでの時間を一体どのような気持ちで過ごされたのだろう?その時に示されたのは、イエス様も「恐怖」「孤独」「絶望」これら私たちが抱くのと同じ感情と日々格闘していたのだということだ。そしてその根拠となる聖書の箇所が示され、こう尋ねられた。「あなたは血の汗を流すほどに祈ったことがありますか?」

 

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。(ルカによる福音書22章42節から44節)2020.4.30

イースター蜂起 

4月24日はイースター蜂起と呼ばれる事件が1916年にアイルランドで起きた日です。ラグビーワールドカップ日本大会で一躍有名になったアイルランドですが、当時はイギリスの支配下にあり、独立を目指して起きたクーデターでした。結果的には失敗に終わってしまい、首謀者たちは全員処刑されてしまいました。この事件がクリスチャン国家であるイギリス、アイルランドの間で起きた事はとても悲しい事実です。しかし、この年のイースターが4月23日で、クーデターを決行した日が次の日の月曜日4月24日であるというところに、かすかな希望の光が差しているように思えます。


イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、 命の光をもつであろう」(ヨハネによる福音書8章12節2020.4.24

本を贈りあう

4月23日は聖人サン・ジョルディの命日です。ジョルディの出身地スペインのカタルーニャ地方では、この日を本を贈りあう日として親しまれています。日本ではあまり知られていないようですが、皆さんもこの日を記念して、世界一のベストセラーである聖書を読んでみませんか?

主を恐れることは知恵のはじめである。これを行う者はみな良き悟りを得る。主の誉は、とこしえに、うせることはない。(詩篇111篇11節)  2020.4.23